実録 えっせゐ

最近人生で最大の失態と痴態を晒しました残念社畜てんぐです。
久々の読み物ではあるものの、残念ながら汚い嘔吐の話をして行くため苦手な方は今のうちにYouTubeにでもお逃げください。

あまりにも酷いので今のうちに事件があった数時間前と一ヶ月前の美しい写真を貼りましょう

\ツークッションカモーン/
──数日前のある日のこと。

てんぐは苦しんでいた。
時折聞こえる外からのノックの音、私を呼びかける声。あまりにも苦しく、私はただただ無言で便器と向き合う他なかった。


事の発端はどれだか、今となっては分かるよしもない。
前日にナンを食したのが良くなかったのか。
それすらもよく分からない。\メチャウマー/

その日は1日かけて 山を越え谷を越え海を越え様々な場所で仕事があった。
会社を出たのは朝10:00頃 もがきながら帰宅したのは夜の21:00。

私は元より車酔いがし易い体質、とは言うもののこの日程酔ったことは子供以来無い。
酔い止めを服用せずとも、3時間であれば難なく乗っていられるし、あの東京ディズニーランドの「スペース・マウンテン」そして、シーの「タワーオブテラー」ですら涙目にはなったもののほんの少しの吐き気でクリアできた。

しかもこの2つとも少しは来るものがあったが、「吐く」ことは無かったのだ。


──しかしてんぐ史上素晴らしい伝説は瞬く間に塗り替えられてしまった。


全ての仕事が終わり、よし帰るかと上司の車に乗ること数十分。
突如として胃に圧迫感が迫ってきた。
私はこの圧迫感に車酔いか?と自分自身に問う前に、真っ先に腹が減ったんだろうと直感した。

無理もない、ハードなスケジュールでその日は昼食はおろか、間食すら食べる時間は無かった。つまり朝食以降なにも食べていないのである。

──やっと仕事が終わった。これからたらふく同僚と甘いものを食べてやる。と思った矢先の事だった。

車が急カーブで何度も私たちを揺さぶる度に、やがて嗚咽感がせり上がってきた。

ああ、これは完全に酔ってしまった。そう自覚するのに時間はかからなかった。
恐る恐る上司に声を上げて、車を止めてもらうと、私は急いで車を降りそのまま地面と対面するように蹲った。

車を降りたところは、小さい港だったので、辺りは静かに波の音だけが聞こえていた。
目の悪い私でも目視できるほんの少しの距離だった。静かに聞こえる波の音が、私の酔いを覚ましてくれるようだった。
たまらなく心地よくて、かなり癒されたと思う。


しばらくして、少しは回復したかなと思うと、再び車に乗り込み帰路につくことを試みる。

……いつもならこれで酔いは覚めた。


さすれども、わざわざ言葉に残すということは「そういうこと」である。自分自身に『これでもう大丈夫』などとあんじるもその暗示は全く持って意味をなさなかったのである。

再び車に乗ること、約五分。


再びどうしようもない圧迫感に襲われ、誰かに首を絞められているような気持ち悪さに苛まれていた。

後部座席に座る同僚が酔わない対処法を私にレクチャーする。


「遠くを、水平線をずっと見ればいい。そう、全集中…!!」

同僚が声を上ずらせた瞬間ー

「ゲロの型」


すかさず私はそう返した。

どれだけ体調を崩そうとも人を笑わすことは忘れない。関西人の悪い癖である。ちなみに鬼滅を一ミリたりとも見たことがない私にとって、初めて鬼滅で笑いを取った歴史的瞬間であった。

幸いにも車内にはドッと笑いが溢れ、「コイツもしかするとだいぶ良くなったんじゃないか?」という空気が流れ始めた。

しかし彼らの期待は虚しくも散っていく。


それからというものの、これは本当に非常に今まで仕事をこなしてきた中で一番申し訳ないと感じたのが、上司や同僚たちに気を遣ってもらい、休憩と題して夕食を取ることにした。


昔カラオケ店で勤めていたと時に、ヤカラ客が来てその日は私以外にベテランが居なかったことから、私一人がそのヤカラ部屋を担当することになったのだが、なんとその日は高熱を出していた。

この寒気と倦怠感は間違いなく、「インフルエンザだ」と思いつつ他のベテランが来るのを待ち、もう一人が来るや否や私はすぐさま穴をあけた。その日よりも申し訳がなかった。


同じくカラオケ店で、カヤラ客2が「この酒は頼んでいない」「料金を払わんからな」と謎の虚言癖ををひけらかして最終的には警察沙汰になったことがあるのだが、その時にその酒を出した私が小声で名乗りを上げるも責任者に上手く伝わらず、全く関係のない責任者が対応に追われていた時よりも申し訳がなかった。


店に駆け込むと一杯のお白湯を喉に流し込み、普段なら来ることの出来ない(物理的にも金銭的にも)ちょっといい店のテーブル席を横目に、その場から逃げるように私は厠に向かった。


そこからの戦いは長かった。

洋式トイレの蓋に頭を預け、しゃがみ込むも、私の口から出ていくのは涎だけであった。

しゃがみ込んでいると、少しは身体が楽になり、嗚咽感や圧迫感を忘れられた。

おお、これはもう酔いが収まったのかと思い、立ち上げる刹那──


またしても数秒前の吐き気は私の体に纏わりついて、抜けきることは無かった。

トイレに籠城することすでに一時間。

辛いことばかりではなく、楽しいことを考えればいいのかとTwitterを開き、無理やりDJ松永のツイートなどを漁り、数時間前の美しい風景を眺めてみる。


しかし、そのどれもが私の三半規管を癒すことは無かった。


(ここで謝っておきたいのはDJ松永があたかも滑ったようがだ、決してそういうことではない。彼が世界一純粋なチェリーボーイとして名誉を保証しておくこととする。


その時──ふと頭に過ったのはパーキングエリアである無料自販機に使われるカップ。

そのカップには、酔った時の対処法としてツボを紹介していた。私はハッと涎と共に息をのみ、思いっ切りそれらのツボを押してみるも、ただただ、嗚咽感が増すだけであった。


なんだちきしょう。全然効かねぇじゃねぇかこの野郎。これには私の中のしょんべん垂らしながらパチスロで今さっき有り金をすった地元のジジィも怒号を飛ばす有様である。


もしかすると、数分間、いや数十分間押すと効くものだったのかもしれない。それ以前に、私の押し方に問題があったのかもしれない。

しかし、実戦で役に立たなければなんの意味も持たない。

なにより、ここまで苦しんでいるというのに、余計に痛く、気持ち悪くなる行為を誰が喜んでするのだろうか。

できればこれからツボを教わる機会があったのなら、どの拍でするのか、何分間押せばいいのか、丁度いいビート曲があれば教えてほしいものである。



もう大丈夫と言い聞かせ、同僚のもとに駆け込るもそこでの最大滞在時間は、五分。

そしてまた便所と対面と戦いの始まる。これを一時間のうちに七回くらいは繰り返したと思う。

この事態に私は焦りを感じていた。もしかすると、私は閉店間際までこうではないのかと。自宅はここから15分程度の場所にあるというのに、ホテルに泊まらなければならないのかと。


初めて長時間車に乗った子供ではないんだから、それだけは嫌だと思った。素直に人にこれ以上迷惑をかけたくなかった。


何度も情けない。これから一週間毎日職場にお菓子を置こうと、その時私は決意した。


しかし、私はゲロ道はたまた、ゲロの呼吸を極めている者として、自身で吐くことはできない。今まで「三月のライオン」でしか、喉(?)に手を突っ込んで吐く方法を見たことがなかったのだが、小心者の私にはできる事ではなかった。


そのため、私にできることはただ静かに「その時」が来るのを待つことのみ。



そうして、二時間酔いと格闘していると、来るべき「その時」はやってきた。


ここで、その時の私の状態を事細かく訳にもいかないので、事後直後のことに触れたいと思う。


その前にまたまたここでクッションを置くとしよう。






二時間苦しんだ末に、ようやく全てを出し切った私は解放感に満ちていた。「快感」その言葉が一番似合うかもしれない。

この年になってこれほど酔ったことは無かったので、長らく忘れていた解放感を私はその時取り戻した。新たな扉が開く感覚とはまさにこのことか、と思ったのと同時に


「ああ、これでやっと楽になれる」


といった心から安堵する気持ちが沸き上がった。


やがて私は、落ち着きを取り戻しあることを思いついた。

それは以前私が書いた「case2,石井 健吾」の嘔吐シーンを読み返すことである。

あのシーンは過去に自分が嘔吐した時のことを思い返していたが、さすがに直近で吐いたことは無かったので、自分が書いたことが真実味を帯びているのか、確認しておきたかった。


家につき、汚れた衣服を洗濯機に投げ捨てると、まだ全身の力が抜けきっている状態でベッドにもぐりこむ。それから感覚を忘れないうちにすぐに読み返した。過去に自分が書いた嘔吐と今さっき体験した嘔吐はどれだけリンクしているのか、確かめたかったのだ。


結果はというと、さすが底辺字書きといったところだった。

私は見事に「感覚」について触れていなかったのである。いかに喉元が苦しくなるのか、腸がひっくり返されたかのような感覚など、全てを見事にスルーしていた。

我ながらそういう点ではよく出来ていると思う。今思い返せば、嘔吐のシーンなど喜んで読む人はいないからと、なるべく短く、感覚が伝わらないように、細かい描写を書いてしまわないようにしたのを覚えている。でかしたぞ私。


今なら間違いなく、120文字以内で嘔吐シーンをかけと言われれば、三十分以内に書ける。その自信が私にはある。


ただ、もう一つ気づいたことがる。

これは本当に感動したのだが、私と彼が吐いたときの心境がほとんど同じなのである。


小説では彼は「ああこれでやっと寝れる」と感じ、私は「ああこれでやっと楽になれる」と感じたのだ。これは嘘偽りなく本当であって、この文のまま普段の方言の語尾などを捨ておいて「ああこれでやっと楽になれる」とその時脳裏に過ぎった。


こんな奇跡があるだろうか。全てを出し切った時に感じたこの強烈な安心感は、忘れずにいるので間違いなく勘違いなどではない。



クサい話、字書きは本当に自分が普段感じていることや、過去に思ったことを無意識下で文字に起こしているのだなと気が付いた。


そのため、今までてんぐの文字を読んだ方には、ああこいつはこういう気持ちになったことがあるんだな、という風に感じて頂ければ嬉しい。なんせ90%はてんぐの追体験ができる作りとなっているのだから。





今回の件で勉強になったのだが、ゲロの呼吸を極めると豪語するのなら自発的な吐き方くらい覚えるべきである。次回まで(同じ場所であと2回仕事あり)に習得しなければやっていけないことだろう。



そう反省しつつ私は小学生ぶりに酔い止めを購入するのであった。





常套句

知ることは死ぬこと

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