この記事は一月に書いていたものですが、すっかり書ききれなくて暫く眠っていた記事です。



最近、ようやく寄席に帰れたけど今まで行った中で一番いい寄席(日)だった。
まず入るや否や、結構お客が多くて。土日だったのもあるだろうけど、それでも良かったなぁあれは。
知り合いのハコとか痛い目みてて、人っ子一人入ってきやしないから、営業出来ないらしい。さすがに寄席も影響出てるかな〜って思ったけど、やっぱ笑いたくてみんな来てるんだねぇ。こういう時期だからこそみんな来るんだろうな。
そうこう考える内に、始まるや否や開口一番の子から、ゲラ客がいるのに気がついた。前の方に座ってる、高らかに笑うおば様。最高の雰囲気で始まったかと思えば、そこからはどっかんどっかん。
あんまり笑えないネタかもなと思っても全部おば様が何とかしてくれる。
最後の大トリの真打も触れるほどゲラなおば様。
初めて生で聞いていて、もっと聞きたいと思える推しの噺家さんも見つけられた。
何よりもあれだね、いつもと違って高座がやかましかいのが良かった。噺家さん同士で、「お先に勉強させて頂きました」とかはっきり聞こえてきて、和やかなのが良かった。みんな本当に仲良くて、まくらで、悪口に似たジョークを言うんやけど、まだ楽屋入りしてへんからね、大丈夫です。とか言っちゃう。
今回の中で、一個だけ聞いたことあるな?っていうネタがあったけど、途中から段々話が変わっていった。恐らく前は上方のを聞いたんだと思う。それを今回は江戸落語で聞いたので、本当に面白かった。
時うどんとか、時そばとか若干違うじゃないの。あれふたつ聞き比べた時の感動。しかもどっちも生。最高の再会。
自分は落語を理解してない時から上方に触れてたみたいなので、耳にすんなり入って楽しめるけど、江戸も江戸でいい良さがありますよね。
江戸の言葉大好き。あれはあれでいい。多分未だに私は八雲師匠に恋してるからなんだと思う。江戸をここまで聞いたのも、落語心中に出会ってからだしな。



この後に、落語心中とコラボした一日限りの寄席があったので感想を書いてみます。


私の稚拙な語彙力で通じるのかとても分からないけれど、ほんとっっに素晴らしかった。ライブ配信で見たのが惜しいくらい。


どの噺家も凄くて、みるみるうちに吸い込まれる。個人的に特にバカ笑いさしてもらった噺家が3人ほどいた。
まずは古今亭菊之丞師匠の紋付。
1巻の八雲師匠と似てるからという理由で着てきたそう。ポーズまで取ってくれて、何枚もスクショした。シュッとした顔立ちや髪型は似ているし、何もよりもするすると言葉が入ってくる。吉原に初めて行った男の子の初心なところが特に良かった。
与太ちゃん(関智一さん)の再現も最高だった。与太郎がそこに生きていて、よくもここまで生き写しというか、2次元から飛び出してきたなぁ。という気持ちにさせる。
与太郎の、噺は憶えてるのに緊張で出てこなくて、あれ次はなんて言うんだっけ、なんて脳裏を過ぎりながら必死にやってる感がそのものだった。(全部てんぐの妄想でさァ)
大トリのきょんきょん。すっっっばらしかったぁ。師匠の死神は恐ろしくて、終盤の蝋燭には近頃あの世に逝っちまった仲間の弔いもするという、、。こういうのが本当に芸に生きてきた人の「落語」と言うんだろう。
とにかく素晴らしかった。途中のトークショーでも、落語心中が連載されてイケメンの登場人物が出てきて、、フッいねぇよと笑って言ってたところも。
なんでこうも芸を磨いた人は様になるのだろう。鼻でひと笑いしただけで絵になる。顔立ちとかではなくて、仕草や表情だけで魅せられる。


話がぐるっぐるっ回転します、すまんだら。私の師匠も、話す言葉や仕草だけで芸事になる。楽器だから話さないはずなのに、毎回話すことはべらぼうに面白い。それでいて、いつも嫌な顔せずに無茶を引き入れてくれる気さくな人。
数ヶ月前縁あって、能(と言えるのだろうかあんな拙いもので)を習った。理由はタケちゃんが能をやっていたから、というくだらないもの。
その能の師匠は界隈では有名な人らしく、師匠はかなりのご高齢なのに誰よりも大きな声で唄い、小さな体で誰よりも大きく舞っていた。

これら芸事に生きる人々はみんな目が飛び出すのか?というほど大きい。みんな目がぎょろっとしていて、見ていてたまに怖くなる。
師匠達はきっと私たちに見えない何かを見ているんじゃないかと思う。霊的なものではなく、芸を極めた人だけが見る景色というのは、あるのではないか。

一時期本気で極めて、それで食べていこうかと悩んだ楽器もあったけど、自分には無理だった。
てんぐのただの妄想だろうけど、楽器をするということは孤独になるということだと思う。
弾けないからとただひたすら何十回、何百回、何時間と弾き続ける。
それでも上手くならないから、当然精神はやられるし、やさぐれる。孤独感に耐えられなくなって、一旦練習を休むけど、そこから練習に戻るのはやっぱり嫌なので一苦労する。
そうしている内に、大抵は弾けないまま本番を迎えるので、悪循環。

普段なら孤独に耐えられないことはないけど、楽器の「孤独」は耐えられない。あれは、自分が出来た上手くなったと自分自身で認めないと、一生独りなまま。
だから自分には向いてねーやと、それでご飯を食べるのを諦めた。


こういった芸事に生きた師匠らを見て接していて、自分には出来ないな、そっち側には絶対行けやしない。と思う。
でも、先にあったような仕草や表情すら、「芸事」にしてしまう彼らにたまらなく心が揺さぶられて心酔し、憧れてしまうから、自分は中途半端に色々と手を出してしまう。
何回やっても死ぬまでやり抜いたとしてもきっとその景色は見えないはずなのに、彼らは本当にずるいしとだ……( ´☁︎` )。՞。゚՞アワアワ

オチなし。

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