幸せなら手を叩こう

難しい話をしよう。

誰も幸せにならないかもしれないし、私も自身もこれを考えて幸せになれるか分からない。

けれど、これを考えないと前に進めないから、無理をしてでも掘り起こして、自分の内部と他人の内部を見てみることにしよう。


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<snsの付き合い方とか、人様の炎上を前にして自分の過去の発言を見直す回 そんな面白くない 特定の人物を出したけど、その方の過去の発言には触れてません>




昔、私はコスプレやリア友専用のTwitterアカウントを持っていました。
でも今は持っていません。どうしてって、疲れてしまったから。

コスプレを初めてした時、何とか慣れないお化粧をしてみて、縁の大きいカラコンを付けて視界が黄色と赤色になりつつも、装着するとそこには自分の好きなキャラクターが居ました。
瞬きをすると、私の好きなキャラクターが鏡の中にいました。
その時とっても興奮したのを覚えています。
あっ!青江がいる!!!とついつい興奮しました。今でも細々とコスプレをしてはいますが、化粧が上手くいかない日でもあの時の感動を思い出せば、何とかなります。

それからというもの好きなキャラクターになりきった自分の顔をネットにアップして、仲間を見つけて楽しんでいました。
最初はとっても楽しかったです。私には承認欲求というものは人より少ないと自信があります。だから、コスプレをした私では無くて、キャラを見ていいねを押してくれたり、褒めてくれる人がいて嬉しかったです。


でも次第に、フォロワーが増えていくにつれ疲れてきたなと思いました。
フォロワーさんのコスプレに難癖をつける人がいたり、スタジオ代持ち逃げの注意喚起などを多く見受けられると感じたからです。


"コスプレ"って、非日常だと思いませんか。いつもとは違う自分、いつもとは違う光景が、目の前に広がっている。
コスプレをしたことが無い人でもそんな気がしますよね。

だけど、他の人のネット上の呟きを見てしまっただけでそれは崩れるんです。そこは非日常では無くて、日常でした。

誰かの顔が気に入らないから、この人の衣装が気に入らないから、この人の化粧の仕方が気に入らないから。

正しく私たちは至って日常的な世界の中に居ました。そこは「社会」でした。
職場や学校の○○ちゃんって、性格悪いよね。顔が醜いよね。
○○はお金を返さないからつるまない方がいいよ。

それと全く同じ世界でした。ネット(非現実)の世界なのに、そんなリアルを目の当たりにしなければいけない。疲れきった私は誰にも告げずにアカウントを消しました。
これ以上見ていられないと感じたからです。

リア友のアカウントも、知らなくてよかった特定の人物の愚痴、まではいいのですが中には行き過ぎた中傷が溢れていて、自分もそれを見ていて流されてしまって仲のいいリア友といえ、第三者の目がしっかりある所で、同じような呟きをしてしまっていたと自覚したので、消すことにしました。

嫌なこと、ムカついたことを文字にするのはいい事です。だけど、その言葉を見る人が居るなら、人に見られるという、それ相当の覚悟が必要で。私にはそんな覚悟これっぽちもありませんでした。
反対に言うと、自分も見ることを許されてリア友の言葉を見てきましたが、その覚悟もありませんでした。

どうしてだか、えらく疲れてしまうからです。だからそれらのアカウントを削除することにしました。

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最近、Twitterで素敵な呟きをされる方、コラムニスト、という立ち位置なのかな。その方の呟きが、もしかすると虚偽だったのかもしれない。という説が浮上して来ました。

その方は心は女性、だけど体は男性で、女性になりたくて、デパートにお化粧品を買いに行く話等を呟いておられました。

私はそのツイート又はブログを初めて読んだ時、素敵だなと思いました。詩的で、繊細で、素直にいいなと思える呟きでした。

以前私は、女性だけど、女性は疲れたし、かといって男性も疲れるし(芝居で男役、日常でも男性を求められる)、ああどちらともがいいのに、それかどちらでもない、でいいのに。と書きました。何より正常な生殖機能を持っているので、誰かにあげたいと書きました。
今もそれは変わりません。というか、ここ5年くらい変わりません。

だから私は、女性になりたい男性の呟きを読んで沢山感銘を受けました。ああ、私とは逆の人はこう感じているんだなと発見があって嬉しかったからです。ずっと読んでいた訳じゃないし、たまーーーに回ってきたら、だけだったけど。

だけどそれが昨日、もしかすると嘘だったのかもしれない、演じていたのかもしれないというのが発覚しました。
特定の人物だと分かってしまう書き方をして、そんなにつっこまないでいいじゃん。とも思うかもしれません。けれど、書かずには、いえ考えずにはいれませんでした。
なぜなら私と似ていた(性自認の話が)から。


知った時に、あー悲しいなぁ、ネットって、やだなぁ〜と思いました。でもそんな例えよりも、 小さい穴が空いた と言った方が正しいかも知れません。なぜなら素直にその人の言葉に小さな感銘を受けたからです。


だれけどその悲しさ達と同時に、でもそれを知ろうとしたのも自分だ と思いました。
平たく言うと情報の取捨選択……的な。

主に声やら、その他諸々の所謂メディアなお仕事もやらせて頂いておりますが、業界に居て、大方全ての業務に携わってきて言えること。それは、メディアを信じるな。
この件で、ハッとしました。情報発信の業界にいながら、忘れていました。
それは犯罪だろ!なんて場面は遭遇して来ませんでしたが、例えば映像だと切り貼りする順序によっては話がかなり変わってくるのですが、その順序を巧妙に変える場面には幾度となく遭遇してきました。
そういう世界なんです。人により良く分かりやすい作品に仕上げると必ずそうなるんです。
なので、メディアは信じるな。
<<ただほな何で今回見極めんかったんや、疑わんかったんや?というと、言い訳をしてしまうと、休みの日にそんな仕事のアンテナはってられんって。しんどいやん。……しんどいやん!?!?!


ネットって不思議なもので、いつも過ごしている部屋からちょっと違う部屋に移動してみよう、と軽い気持ちでドアを開けてみたら自分の全く知らないことが(当たり前だけど)溢れてるんですよね。
それまでいた慣れ親しんだ部屋とは、似ても似つかなくて、高確率で居心地が悪くて直ぐに引き返してしまいます。
自分のまだまだ"知らない"が溢れているのはいい事です。ただ、知らなくてよかったものを知ってしまった時どうスルーすればいいんでしょうね。

特に、自分の目を引いてしまうものは。
考えたくもないのに、考えてしまう。めちゃくちゃ残念なオタクだから1時間考え込んだら推しのことにシフトチェンジ出来るけど。この1時間が長い。


きっと私の言葉も誰かをそんな気持ちにさせてきたし、これからもそうなんだろうな。

どうせ他人の頭の中なんてわかんないんだから、自分と同じ人間だって思い込むしかない

からね。倫理的に常識的に書くべきじゃない思うべきじゃない奴は分かってるつもりで書いてないけど、無理にあれもこれも怪しいかもってやめとく訳にはいかないから。
てんぐのサイトのなり、ついったなり、支部の作品なりで面白さは置いておいて、常識的に気に入らないところがあれば、モヤッとする疑問があれば言っていただくか、面倒だったら目を瞑ってください。

まぁ、なかなか難しいよね。ネットとの付き合い方とか最近ほんとよく分からんくて、<他人との会話ではなく>一方的に情報を知る時に如何にダメージを受けないかに重きを置いてます。





結論
ネットって難c〜〜〜〜〜出来れば優しい平和な言葉のみで構成された王国に住みてぇ〜
そこの国歌は敢えて 幸せなら手を叩こう 作詞 新作のハーモニカ な

今月の月マガ考察やら感想書いてるけど、死ぬ程長いし、意識とか宗教観とか記紀、お江戸の国学も持ち出して書いてたら終わらんくなった爆笑そんでもって人によっては?しか出なさそうでビクビクしてる。そんな読まれてないのはわかってるけどそれでも、ビクビクしてる。ノラガミ好きな人が色々寛大なことを願う フォーエバー。


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